
このイベントは、金沢米店がこだわる都会生活での『身土不二』の実現です。2004年10月9日(土)〜16日(土)「始めよう、東京のスローフード実行委員会」からの要請に応えて、当店もこのワークショップに参加しました。このページではこのワークショップの概要とワークショップに参加して得たことを加筆して再構成しました。
東京のスローフードワークショップについて(参加|内容|成果と課題)
今日、作る人と食べる人の距離がどんどん離れて行ってしまう中で、食の安心・安全が根本から脅かされる事件が雪印事件、BSE問題、偽装表示など、次々に顕在化し、食べ物の生産・流通に携わる人の自覚の欠如の広がりが発覚しています。
整備が急がれているトレーサビリティー(生産履歴・追跡可能性)の表示も大切ですが、携わる人々に利益優先の体質が温存されるならば、それ自体の信憑性も問題化する可能性も大きいのです。
そこで、地方では、顔の見える関係を大事にする地産地消の運動が静かな広がりを見せています。身土不二や医食同源も同じ根っ子をもつ思想です。では、東京という大都会で暮らす私たちには、身土不二は手が届かず、無縁であきらめなければならないのでしょうか?
私は、食べ物を口に運ぶとき、作り手がこめた真心と、自然の恵み=命をいただく営みとに、思いを馳せながら、噛み締め・噛み締めして、じっくりと味わうことが大切だと考えます。
「情熱」などが伝えられ、食べる人の食卓に丸ごと、届くことがとっても大切だと思うのです。シール一枚の信用でなく、食をベースにした人と人の心の触れ合いこそが要だと思うのです。金沢米店で仕事をする私たち夫婦は、こだわり農家や食のこだわり職人と食べる人とをつなぐ、人と人との信頼のバトンリレーを店頭での対話を通じて実現したいと考えています。
食べ物とともに作り手の息吹や胸を張った生き様がしっかりと伝わるならば、それはファーストフードに流されがちな都会人の暮らしの中に、スローフード、「身土不二」を蘇らす初めの一歩となると思うからです。
農と人、お米文化の奥行き・広がりを探ります。単におコメと呼ばれていますが、お米は田んぼにあっては、「稲」だし、稲刈り後は籾(モミ)、玄米、精白米、御飯と名称を変えていきます。
田んぼの稲は、太陽の熱と光を浴びながら、水と土を食べて育ちます。ですから、健康な稲は、生命力に富んだ土づくりが欠かせないのです。水の確保や土作りは、人が手がけます。人の「氣力」が注がれます。お米の味に、人柄が表れるように思えるのは、そのせいかもしれません。
合鴨農法などの農薬や化学肥料をつかわない農法で、丹精込めて育てたお米は、玄米や五分づきなどでなるべく丸ごと食べて欲しいと生産者は願っているようです。
そこで、今回のワークショップにおいては、玄米御飯の食べ比べや古代米御飯や雑穀御飯の試食体験をしていただきました。
日本人の食の中心には、お米が座っているわけですが、そのお米と切っても切り離せない存在である「日本茶」「海苔」「煎餅」「箸」などにかかわる仕事人たちからの自慢の品と熱きメッセージもお届けしました。
「都会人は、潜在的に何を求めているのか?」私は、米屋の立場から、このテーマをこの十年追いかけて来ました。今回の『始めよう!東京のスローフード実行委員会』からのお誘いを受けて、お引き受けしたワークショップでした。
しかし、私の店にとって、この1週間がとっても貴重な始めの一歩となったと捉えています。敢えて、大胆な表現をするならば、店づくりのステージがさらに一段変わるような予感をともなって、変えてみたいという願いと意欲が湧いてきたのです。
それは、スローフード実行委員会のイベント情報をみて遠路遥々来店したお客様とだけでなく、常連のお客様達とも、ワークショップ・イベントの試食を入口にして、人の味覚や嗜好、さらには食習慣について新鮮な発見のある印象深い対話をたくさん味わうことができたことの結果です。
対話する中で「食と心景」や「人の暮らしぶりと味覚・嗜好」など、興味の尽きない『食』についての『学び合いの場』が身近に存在することへのお客様の安堵・喜びと期待感を肌で感じることができたのです。
そして、便利さと引換えに歪んだ食生活に浸ってきてしまった現代日本の都会人がもう一度食を見つめ直し、健康な食卓を創っていこうとするとき、どこにその仲間を求めたらいいのか、みんな探していることに確信をもてたのです。その仲間が集える場としての身近な街の小さな米屋の店先の果たしうる役割に従来以上の強い手応えがも
てましたし、その秘めている可能性の広さに、私達自身があらためて驚かされたわけです。
現代日本にあっては、多くの人にとって「命の糧としての食」への不安が強まっています。サプリメント産業の急成長にも反映しているように、ライフスタイルや食生活に起因する健康不安が強いから食の安心感への希求も強いのです。
多くの人々の身体が反応して警鐘を鳴らし続けて久しいのですが、ようやく、一人一人が自らを含めた飽食日本の姿を心の鏡に映して、食習慣や食生活のあり方を見直し始めている時期がやってきているのです。
食育さらに一歩踏みこんだ食農教育は、子ども以上におとな達にとっての切迫した実践課題であるのではないでしょうか。